変わった

喧騒の中、ただ一人違った雰囲気を醸し出している私。

朝起きて、ご飯食べて、電車に乗って、大学で勉強して、たまにバイトして、帰ってきて、ご飯食べて、寝る。

 

この繰り返しも毎日に何を求めればいいのだろうか。社会に出ても大学とバイトが仕事に変わるだけ。

中学の頃、なぜ学校に行くのかと質問をしたことがある。その人の答えは何か忘れてしまったがその後自分で考えてみるとこうだった。

中学校に行くのはいい高校に進学するため

高校に行くのはいい大学に進学するため

大学に行くのはいい企業に就職するため

仕事をするのはいい生活を暮らすため

 

もともと社会に対して人生に対して疑問を感じていた。学校は楽しかったが、本当に仲のいい友達といえる存在もいなかった。

大学に入ってお酒というものが新しく入ってきたが、より一層嫌悪感が増えただけだった。周りの人を見ていると、日頃の鬱憤を酒の席で愚痴や異性の話をしてワイワイしているだけ。何の解決にもなっていない。

 

私は何をしていたのか、何をしているのか、何をしていけばいいのか。

何もわからない、そんな日々。

 

 

そんな時に、ある人に偶然出会った

いろいろ話しているうちに衝撃を受けた、文字通り「人生が変わった」

もう大丈夫、迷わない

よくあることだけど大切なこと

人はなぜ後悔ばかりするのだろう。

とても悔しくて涙してしまうのにどうして前もって準備しておかないのだろう。

 

「学生の時にもっと勉強していればなぁ」

「テスト前にしっかり確認しておけばなぁ」

「左右を確認して発進していたらなぁ」

 

例を挙げればきりがない。子供の頃も大人になってからも人はたくさんの後悔の人生を歩んでいる。

やはり仕方のないことなのだろうか。

 

しかしどのことに対しても必ずそれをやっておいた方がいいと忠告やアドバイスをもらっているのも確かなことだ。勉強しておきなさい、確認をしなければ事故につながってしまいますよ、など誰かに言われているはずだ。

 

実感しないとわからないなんて言い訳していいはずがない。せっかく親や先輩、過去の偉人たちが多くの労苦を重ねてきたのにそれをフイにしていいだろうか。

これまでたくさんの失敗があったからこそそれに伴ってたくさんの発展を成し遂げてきた。

エジソンも初めから成功していたわけではなくて失敗があっての成功だ。

実感してこそもう二度としないと決心することもできるが、やってはいけないこと、やる必要がないことが知識としてわかっているのならばやらないのが知恵のある人ではないだろうか。

 

その上でやってしまい、後悔するのはまた別の話だ。人生一度の失敗で全てが終わるわけではないのだからそこからまた最善を尽くして行っていけばいい。

ただ三度目のチャンスはないと思った方がいいだろう。

あなたという一人の人間の大切さ

今回のオリンピックで日本は今までで一番多くのメダルを獲得したそうですね。

体が小さい日本人でも様々な努力、工夫をすることによって世界と肩を並べるまでに成長してきたことが伺えます。

ただその中でもメダルを取れなくて悔やんでいる人、金メダルを取れなくて悔やんでいる人もいます。「なんで負けたんだろう」、「何がいけなかったんだろう」など様々なコメントをしています。

 

スポーツだけではありません。会社でもそうです。競争すること、つまり勝ち負けを意識しすぎてしまうと困ったことが起こります。互いに悪い感情を抱いて競うようになります。また大切な人とも競わなければいけないこともあるので悪いと思って自分の能力を発揮できない場合もあります。

 

そもそもなぜ競争をするのでしょうか。スポーツに関して言えばなんのためにするのでしょうか。

 

最近話題の歌手グループで素晴らしい歌詞の歌を見つけました。

世界に一つだけの花 歌詞 - nifty

 

人と比べることなんてしなくていい。むしろ育ってきた環境が同じ人なんて一人もいないのに、一人一人が違うのにどうして比べるのですか。

「No.1にならなくてもいい」と、この歌にはありますが、only oneな訳ですからみんなNo.1なんじゃないですか。

「あの人は私よりも優れているから自分はダメだ」、「あの人のああいうところがキライ」

比べなくていいのです。十人十色ということわざの通りみんな違ってみんないいのです。それこそ自分という人間がたくさんいたら困るどころではないでしょうに。

 

みなさん一人一人が貴重な命です。今生きているこの時を無駄にせずに最大限使っていこうではないですか。自分がやるべきことをやって個性で勝利し成功していこうではありませんか。明るい未来を目指して。

楽しくいってみよう!!

トントントン

友人たちのために料理を作っている時、なんだかふと楽しくなってきた。

最近お世話になることが多かったのでそのお礼として簡単だけども自分なりに作ろうと思ったのだ。

 

先日里帰りをした時お土産を買っていこうと思った。今まではなんでもいいから買っていこうっていうことしか考えていなかったのだが、まんじゅうにしようか、せんべいにしようか、はたまたフルーツジュースにしようか結構迷ってしまった。

 

この2つの状況で共通している自分の気持ちは「相手のことを考えている」ということです。1つ目は料理をもてなすことによって相手が喜んでくれることを思い浮かべて楽しくなってきて、2つ目は何を買っていけば相手が嬉しいと言ってくれるかということを考えています。

やはり人間は一人では生きていくことができないからどんな人とでも楽しく生きていくことができるのが理想ではないでしょうか。そのためにはまず自ら行なっていくことではないかと思います。情けは人の為ならずという言葉もありますし。

また自らというところがまたポイントかと。物事待っていたって何も起きません。たとえどんなに良くしてくれる人がいたって自分が行動しなければ改善することもないです。

わかりやすい例が勉強です。どんなにいい教師がいてテキストがあったとしても自分が机に向かって勉強しなければ学力が上がることなんてありません。

 

自分が今するべきこと、自分が今できることから始めてみてはいかがですか。

どんな人がいいですか?

あなたはどんな人といつも一緒にいたいですか?

結婚相手ともなると毎日同じ場所で生活しているわけですから良いところもあまり良く感じないところも見えてきますよね。人間ですから全てが完璧な人はいないと言ってもいいでしょう。

 

近年、離婚率が増えているという話を聞きますがそもそも婚姻率が減ってきているみたいです。理由の一つとしては結婚したら価値観が合わない、一人でいる方が楽など結婚に対するイメージが悪くなったためだと思われます。

もちろんそういうところもあるかもしれませんが、本当に愛する人、愛したい人なら違う価値観でも知りたくなるのではないでしょうか。

例えば、自分は旅行にはあまり興味ないのに恋人に「ここ行きたい!こんないいところがあるよ!」なんていつも言われたらそれに合わせたくなりませんか。

 

つまり分からないとばかりいってないで分かろうとすることが大切なのです。「どういうところが好きなの?なんで好きになったの?」分からなければ聞けばいいじゃないですか。それなのに「あいつは変わった、もうやっていけない。」なんて言い、またそもそも言葉で話さずに顔をしかめて顔の言葉で話すから悪い方向に行ってしまうのです。

互いに思っていることを全て話して対話する。話してなくて関係が悪くなったのだから、「愛する人なら話さなくてもわかってほしい」なんてことは言わないで話せばいいじゃないですか。

話さないことによって別れて落胆して後悔する。もしかしたらもう一生会わないってこともあるかもしれません。「後悔先に立たず」という言葉がありますが、本当にその通りなんですよね。みんなそのことをわかっているはずなんですが、やはり後悔してしまう人も多いはずです。

まあこの後悔に関しては何に対しても使える言葉ですが、ここでは特に対話です。

何でも話せるような関係が一番いいじゃないですか。悪いところがあってもそれを話すことによって改善することができる。良いところがあったらほめる。

 

真実な気持ちと言葉で温かい関係を築く暑い夏になるといいですね。

ある日の出来事

経験してみないとわからないことがある。
もちろん話を聞いて気持ちがわかることはあるが、その全てを理解することはできない。
 
季節の変わり目は体調が悪くなりやすいから管理をしっかりしなければいけない。
友人が風邪を引いたという話を聞いて大丈夫かなと心配はしたけれども、どうせ風邪だからすぐ治ると思った。
やはり大事には至らず数日後はピンピンしていた。
 
そんなある日、自分にも来た。朝から頭が痛い。それでも休むほどではないからだるい体を動かして家を出る。
体調を崩すことはあまりないので何が悪かったのかなと思っていたのだが、それにしても頭が痛い。
電車の中で寝たものの、歩き始めるとまた。
 
 
自分の尊敬する人が以前こんなことを言っていたのを思い出した。
「そのようにそうだ。」
サッカーで学んだことをそれだけで終わらせるのではなくて、そのように生活でもそうだという話を耳が痛くなるほど聞かされた。たくさん聞いていたのでその言葉の価値が落ちていたのだろう。
そんな時にこの出来事。
病気になった人しかその痛み、気持ちがわからないように、そのように何事も行なって経験してみないとわからないということだと思った。
もちろん罪を犯せと言っているわけではない。
苦手だと思っていたものに挑戦してみること、新しい分野を開発してみること、もう一度振り返ってみること。
人生100年、何も考えていないとあっという間に過ぎてしまう。それなのにやることはたくさんあるから早くやらなければいけない。
 
私は何もすることなんてないよ、と言わずに探してみてください。
今の自分に満足していますか、今のまま死んでいいですか。
何をするか教えてくれる人がいるといいですね。
 
今年も長い夏がやってきます。

リンゲルマン効果からみえてくるもの

リンゲルマン効果とは、社会的手抜きとも言われ集団で共同作業が行われるときに人数が増加するにつれて一人あたりの仕事を行なう量が無意識的に減少していくことだ。

学校でも会社でも、会議や決め事をする際に、誰かがやってくれるだろうから自分はやらなくていいかなと思ってしまうこと。といえば分かりやすいだろうか。

 

なぜこの話題を挙げるかというと、昨日の朝友人とカフェで話をしていた時にその友人が提供したもので、今の自分や社会の状況などにとてもぴったりしているものだと感じたからだ。朝だからというのもあったのだろう、頭が冴えていてとても濃い時間となった。いつもカフェで安い飲み物しか飲まない自分でも昨日のことは280円以上の価値があった。

 

先日選挙についてのブログを上げたがその選挙についてもリンクする話であった。

今回から18、19歳が選挙権を得たが投票率が低いのは相変わらず。

 

そこで今回のリンゲルマン効果。

まず、どうして行く人と行かない人が出てくるのか、その差について考えてみた。

行く人→政治が自分の生活に関係していると感じているので選挙に行くことによって 自分の意見を伝えたいと思っている。

例)安保関連法に関して戦争に行くかもしれない

  保育園に落ちた人が知り合いにいる

  老後の年金は保障されているのか

行かない人→行く人のことを考えると自分の生活との関係を見いだせていない。

関係がない人は知識がない人。例えば目の前に美味しい食べ物があるのにそれを見ずに外ばかり見ている人にとってはその食べ物はないのと同じだ。

 

この選挙に行かない人がまさにリンゲルマン効果の表れと言っていいだろう。

ではどうしたらいいだろう。どうしたらこの効果は消えるだろうか。

 

二人で話し合った結果として二つの答えが出た。

①全員が知っている人からどんどん学ぶ。

学ぶことによって、自分にとって何が大切なのか、何が必要なのかがわかる。

②リーダーが関心をもたせ、将来像をきちんと見せる。

まず、選挙に行かなかったらどうなるのか。ある候補者が掲げている政策が行なわれるようになったらどうなるのか。やはり何も見えていないと何もすることができない。

そして、リーダーの存在。総理大臣、都道府県知事、市区町村長、親、学校の先生など拡大も縮小もできる。この人たちが自分だけでなく全ての人にとって良いものについて考えさせるべきである。

 

 

今回はリンゲルマン効果を選挙を例として書きつづってみたが選挙に限ることではない。各々当てはまることがあるのではないだろうか。

この答えが正しいかは実際にやってみて判断すれば良い。何事もそうだ。実体となった時に初めて信じることができる。

 

<追伸>

このような熱い話し合いをする機会が自分だけでなくみなさんにも増えるといいと日々思っています。